御前の池に、水鳥どもの その3

道長の正妻、倫子は、この紫式部日記の中では、なかなか面白い存在である。 重陽の節句では、これで念入りに老いを拭い捨てなさいって菊の着せ綿を式部にプレゼントしたり、泥酔した道長に腹を立てて酒宴の席をプイと立ったり。平安時代のファーストレディが…

御前の池に、水鳥どもの その2

さて、式部は、宮仕えがイヤだったのか、まんざらでもなかったのか、という話。長い長い愚痴の後、今では実家でもくつろげず、かえって女房仲間が懐かしいという。だから式部はやっぱり、「今の生活に順応している」=今の生活に満足している、と、私は感じ…

34.御前の池に、水鳥どもの その1

中宮還御を控えて、紫式部が里下がり(自分の家に戻ること)して、思い出したり、考えたりしたことが書き綴ってある。夫を亡くしてからの自分の気持ち。宮中に出仕するようになってからの自分。その自分がいまどんな風に思われているのか・・・それらを思い…

再開。

「紫式部日記」読み、体調悪く、しばらくお休みしていました。張り切って再開!といきたいところなのだけれど、今日の節は、実は、あまり好きになれない部分なのだ。だから、読んでも読んでも式部の気持ちに寄り添えない。読めば読むほど、式部から気持ちが…

33.入らせたまふべきことも

彰子の出産、それに続くお祝い行事の数々、天皇の行幸、五十日の祝、と読んできたけれど、いよいよ彰子が宮中へ戻る日が近づいてきた。この節では、還御の準備に忙しい彰子のサロンの風景が描かれる。何に忙しいのか。それはずばり、『源氏物語』の造本作業…

32.おそろしかるべき夜の御酔い 続き

この節、倫子がぷいと席を立ってしまったのは、宮崎氏の解説に基づいて、道長がわれぼめしてしきりに冗談をふりまくので、それに閉口して、という立場で考えてきたけれど、朴おじさんは、道長が式部と息のあった贈答歌を読みあい、それを自慢したから、とい…

32.おそろしかるべき夜の御酔い

この節は、五十日の祝(いかのいわい)の祝宴が果てたあとの様子を描く。祝宴が果てて祝宴はあまりにひどい乱れようになってきた。こうなったらどんなことが起きるのかわからない。式部は宰相の君と示し合わせて御帳台の後ろに隠れる。それを道長がめざとく…

31.御五十日は霜月のついたちの日

1008(寛弘5)年11月1日。五十日の祝(いかのいわい)−若宮誕生50日目のお祝いの行事−の様子が述べられる。赤子の口に餅(五十日の餅(いかのもちい))をふくませる儀式である。五十日の祝の様子美しく着飾った女房たち、供された御膳のことなど。式部はそ…

31節と32節

この節と次の節は、敦成親王誕生50日目のお祝いの日のことが描かれる。31節は、その祝儀の様子、32節で、祝宴が果てたあとの様子を描く。

29.「またの朝に、内裏の御使」

行幸の翌日の早朝、朝霧も晴れないうちに宮中からのお使いがやってくる。後朝の文だね。これが早いことが愛情の印だったので、彰子が帝から大切にされていたことがわかる。でも、道長ジジのご威光って面もあるかもしれない。式部はこれを「うちやすみ過して…

28.「暮れ行くままに、楽どもいとおもしろし」

帝の御前で管弦の遊宴が始まる。船の上で奏されている笛や鼓の音が、松風に乗って聞こえてくる。遣水の水面までも満足げに見える。筑前の命婦・・・おそらく年をとっているのだろう、「女院さまが生きておられる頃はしばしば行幸があったものです」などと言…

27.「御簾の中を見わたせば」

引き続き、行幸の様子。この節では御簾の中で奉仕する女房たちの様子を詳しく書く。その記述はほとんどが装束に関するもの。生地はどんなので、柄はどんなので、仕立て方はどんなで、重ねはどんなで、扇はどんなで、等々。どれも女性が感心を持ちそうな事ば…

26.「その日、あたらしく造られたる船ども」

1008(寛弘5)年10月16日。さあ、いよいよ、天皇の行幸の日がやってきた。竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の立派な船を点検する道長。早朝から支度に勤しむ女房たち。いよいよ帝の乗った御輿が到着する。後半、御佩刀(みかはし)を持つ左衛門の内侍、しるし…

25.「小少将の君の、文おこせたる」

紫式部とたいへん仲の良かった同僚女房との歌のやりとりが記される。えーっと、私はこの段が苦手でして・・・正直なところ書きにくいのです。要するに、最初、自宅にいる小少将から手紙が届く。その返事に式部は歌を書く。でも、この歌は「腰折れ拙い歌」と…

24.「行幸近くなりぬとて」その2

昨日に引き続いて、「行幸近くなりぬとて」の節。式部の「思ふこと」に迫っていきたいと思う。何の悩みか式部の書く、「思ふこと」、「思ひかけたりし心」とは、一体何だったんだろう? これを「出家遁世への念願」とする本が多いようである。萩谷朴もその立…

24.「行幸近くなりぬとて」その1

行幸の準備がすすむ邸内「行幸近くなりぬとて、殿のうちをいよいよつくりみがかせたまふ行幸が近くなったというので、廷内をますます手入れされて立派になさる」。行幸・・・つまり、彰子の産んだ赤ちゃんに会いに、パパである一条天皇が道長の家に遊びに来…

23.「十月十余日までも」

何度も孫の顔を見に来る道長。「わが心をやりてささげうつくしみたまふ(殿は)ひとり良いご機嫌になって抱き上げてかわいがられる」。うれしくてたまらないらしい。孫の「わりなきわざ困った仕業=ここではおしっこ」で服が濡れても「うれしいなあ」と喜ぶ…

22.「九日の夜は、春宮の権の大夫」

9日目の御産養は、道長の長男、頼通の主催。お祝いの行事は続く。この時、頼通は17歳。お祝いの品々や作法には、気合いが入っていて、とてもモダンなものだったらしい。若者の感覚で精一杯がんばったのね。お父ちゃんは「ここはバッチリ決めろよ!」と息子に…

21.「七日の夜は、おほやけの御産養」

赤ちゃんが誕生して7日目の夜は、朝廷主催の御産養。原文に、「今宵の儀式は、ことにまさりて、おどろおどろしくののしる」、とあるので、なんだかひど不気味なイメージをもったのだけれど、格段に大がかりで、大げさなほどにさわぎたてている、という意味な…

『紫式部日記』読み、継続中。

『紫式部日記』は、中宮彰子が若宮を生み、お祝いの行事が続いているところ。本日は、7日目と9日目の産養。

20.「またの夜、月いとおもしろく」

翌日の夜は、月がたいそう美しかったそうだ。この夜は庭の遣水で舟遊びですよ、奥様! なんとも優雅だ。天皇付きの女房たちが内裏からお祝いにやってくる。舟に乗っていた女房たちは、あたふたと家の中へ入っていく。そこへ、道長登場! 「おぼすことなき御…

19.「五日の夜は、殿の御産養」

9月15日。誕生5日目の御産養。道長主催。宴はたいそう盛大で、夜更けまで続く。男子誕生に誇らしげな道長家の面々。たくさんの篝火に彼らの表情が浮かび上がるのを、紫式部はじっと観察していたのだろう。「色ふしに立ち顔晴れがましい場に立ち望んだという…

18.「三日にならせたまふ夜は」

9月13日。誕生3日目の産養(中宮職主催)のことが簡単に記される。お祝いの品々は、「人の心々見えつつ尽くしたり各人それぞれの趣向があらわれ、丹精が込められていた」。

17.「よろづの物くもりなく」

「よろづの物くもりなく白き御前に、・・(略)・・、よき墨絵に髪どもをおほしたるやうに見ゆすべてのものが白一色という(中宮様の)御前にあって・・・(女房たちは)すばらしい墨絵の人物に黒髪を描いたように見える」。白一色のしつらい、装束の中の、…

16.「御湯殿は酉のときとか」

御湯殿の儀式の状況が詳しく描かれる。漢籍を読み上げるのと弓の弦を鳴らすの。若宮を抱くのは道長。うれしかっただろうなー。この儀式は誕生の日から1週間毎日、1日2回行われる。この日は若宮の誕生が昼だったので、1回目が酉のとき(夕方6時ごろ)、2回目…

15.「内裏より御佩刀(みはかし)もてまゐれる」

宮中から若宮のお守り刀が届いたこと、臍の緒を切る役(倫子)や御乳付の役、乳母が選定されたことなどが簡潔に記される。

14.「例の、渡殿より見やれば」

大勢の公卿が集まっている。そこへ道長登場。家来に命じて遣水の手入れをさせる。彰子出産の忙しさで手が回らず、落ち葉などがたまっているのだ。それにしても、道長、じっとしていないなあー。こんなところからも、何事にも精力的な道長をイメージしてしま…

13.「午の時に、空晴れて」

「午の時に、空晴れて朝日さし出でたる心地す正午頃にご誕生が実現し」彰子の赤ちゃんが生まれたのは、お昼頃。この日は朝からよい天気だったらしい。昼に朝日とはこれいかに!? でも、なんと喜ばしい表現であろうか! 彰子は「たひらかにおわします」(母…

12.「御いただきの、御髪おろしたてまつり」

9月11日午の刻。彰子無事男子出産。そのことは簡単に記され、女房たちの化粧崩れした顔や、その時いかに物の怪が執拗であったか、お産が大変であったかが縷々綴られる。

11.「十一日の暁に、北の御障子、二間はなちて」

9月11日明け方。加持祈祷は続く。彰子の状態は描かれず、女房たちの無我夢中、茫然自失の状態が描かれる。紫式部も一緒になって、「たぐひなくいみじと、心ひとつにおぼゆたとえようもなく大変なことだと、つくづくと心の中で思われた」という状態。この混雑…