2003-02-01から1ヶ月間の記事一覧

23.「十月十余日までも」

何度も孫の顔を見に来る道長。「わが心をやりてささげうつくしみたまふ(殿は)ひとり良いご機嫌になって抱き上げてかわいがられる」。うれしくてたまらないらしい。孫の「わりなきわざ困った仕業=ここではおしっこ」で服が濡れても「うれしいなあ」と喜ぶ…

レイアウトのテストにて・・・

宮崎荘平 『紫式部日記』 講談社学術文庫 上巻 ISBN:4061595539 『源氏物語』の作者、紫式部の綴った宮仕え日記は、平安朝宮廷社会を克明に描写した貴重な風俗資料である。安産を願う加持祈祷、若宮誕生、初孫に目を細める道長。そして、御湯殿の儀式、豪奢…

22.「九日の夜は、春宮の権の大夫」

9日目の御産養は、道長の長男、頼通の主催。お祝いの行事は続く。この時、頼通は17歳。お祝いの品々や作法には、気合いが入っていて、とてもモダンなものだったらしい。若者の感覚で精一杯がんばったのね。お父ちゃんは「ここはバッチリ決めろよ!」と息子に…

21.「七日の夜は、おほやけの御産養」

赤ちゃんが誕生して7日目の夜は、朝廷主催の御産養。原文に、「今宵の儀式は、ことにまさりて、おどろおどろしくののしる」、とあるので、なんだかひど不気味なイメージをもったのだけれど、格段に大がかりで、大げさなほどにさわぎたてている、という意味な…

『紫式部日記』読み、継続中。

『紫式部日記』は、中宮彰子が若宮を生み、お祝いの行事が続いているところ。本日は、7日目と9日目の産養。

気楽に古典を・・・

サイト名、変更。本家のサブタイトルをここのタイトルとしました。

はてなダイアリーキーワード

はてなダイアリーキーワード、「紫式部」と「清少納言」に少し手を入れた。作業に責任を感じる。でも、作業できる幸せ。カテゴリーは、 「人間」−「古典作家」−「紫式部」 「人間」−「古典作家」−「清少納言」 うん、たしかに、紫式部も清少納言も人間だ!す…

20.「またの夜、月いとおもしろく」

翌日の夜は、月がたいそう美しかったそうだ。この夜は庭の遣水で舟遊びですよ、奥様! なんとも優雅だ。天皇付きの女房たちが内裏からお祝いにやってくる。舟に乗っていた女房たちは、あたふたと家の中へ入っていく。そこへ、道長登場! 「おぼすことなき御…

19.「五日の夜は、殿の御産養」

9月15日。誕生5日目の御産養。道長主催。宴はたいそう盛大で、夜更けまで続く。男子誕生に誇らしげな道長家の面々。たくさんの篝火に彼らの表情が浮かび上がるのを、紫式部はじっと観察していたのだろう。「色ふしに立ち顔晴れがましい場に立ち望んだという…

18.「三日にならせたまふ夜は」

9月13日。誕生3日目の産養(中宮職主催)のことが簡単に記される。お祝いの品々は、「人の心々見えつつ尽くしたり各人それぞれの趣向があらわれ、丹精が込められていた」。

17.「よろづの物くもりなく」

「よろづの物くもりなく白き御前に、・・(略)・・、よき墨絵に髪どもをおほしたるやうに見ゆすべてのものが白一色という(中宮様の)御前にあって・・・(女房たちは)すばらしい墨絵の人物に黒髪を描いたように見える」。白一色のしつらい、装束の中の、…

16.「御湯殿は酉のときとか」

御湯殿の儀式の状況が詳しく描かれる。漢籍を読み上げるのと弓の弦を鳴らすの。若宮を抱くのは道長。うれしかっただろうなー。この儀式は誕生の日から1週間毎日、1日2回行われる。この日は若宮の誕生が昼だったので、1回目が酉のとき(夕方6時ごろ)、2回目…

15.「内裏より御佩刀(みはかし)もてまゐれる」

宮中から若宮のお守り刀が届いたこと、臍の緒を切る役(倫子)や御乳付の役、乳母が選定されたことなどが簡潔に記される。

14.「例の、渡殿より見やれば」

大勢の公卿が集まっている。そこへ道長登場。家来に命じて遣水の手入れをさせる。彰子出産の忙しさで手が回らず、落ち葉などがたまっているのだ。それにしても、道長、じっとしていないなあー。こんなところからも、何事にも精力的な道長をイメージしてしま…

13.「午の時に、空晴れて」

「午の時に、空晴れて朝日さし出でたる心地す正午頃にご誕生が実現し」彰子の赤ちゃんが生まれたのは、お昼頃。この日は朝からよい天気だったらしい。昼に朝日とはこれいかに!? でも、なんと喜ばしい表現であろうか! 彰子は「たひらかにおわします」(母…

12.「御いただきの、御髪おろしたてまつり」

9月11日午の刻。彰子無事男子出産。そのことは簡単に記され、女房たちの化粧崩れした顔や、その時いかに物の怪が執拗であったか、お産が大変であったかが縷々綴られる。

11.「十一日の暁に、北の御障子、二間はなちて」

9月11日明け方。加持祈祷は続く。彰子の状態は描かれず、女房たちの無我夢中、茫然自失の状態が描かれる。紫式部も一緒になって、「たぐひなくいみじと、心ひとつにおぼゆたとえようもなく大変なことだと、つくづくと心の中で思われた」という状態。この混雑…

10.「十日の、まだほのぼのとするに」

9月10日。さてこの日、御座所のしつらえを白一色に模様替え。盛んに加持祈祷が行われる。彰子は、「いと心もとなげに、起き臥し暮らさせたまひつその日一日中、とても不安そうなご様子で、起きたり伏せったりしてお過ごしになった」という状態。内裏の女房た…

9.「その夜さり、御前にまゐりたれば」

その夜、とは、前段の9月9日夜のこと。中宮彰子は、「例よりもなやましき御けしきにおわしませばいつもよりもお苦しそうなご様子」という状態。紫式部は、「しばしと思ひしかど寝にけりちょっと休もうと思って横になったところ、つい寝てしまった」。彼女は…

『紫式部日記』と『枕草子』

『紫式部日記』を読み進めていくと、『枕草子』との共通点が散見される。『源氏物語』と『枕草子』は、「あはれの文学」、「をかしの文学」などと対比されるが、『紫式部日記』と『枕草子』の共通点をさぐっていくのは面白い作業になりそうだと思う。そうい…

あれこれ再読中

『紫式部日記』について記述のある本を思い出しては、再読に努める。なんだか、大変なことを始めてしまった気がする。 駒尺善美『紫式部のメッセージ』朝日選書ISBN:4022595221 沢田正子『紫式部』清水書院ISBN:4389411748 大野晋『源氏物語』岩波書店ISBN:4…

8.「九日、菊の綿を」

この段は、なかなか意味深である。重陽の節供の当日、道長の奥様が紫式部に「菊の綿(菊の花に綿をのせたもの)」を贈る。紫式部は返礼の歌を用意しておいたのに、奥様がさっさと帰っていったので、渡せなかった、という。<解説>には、「菊の綿を贈るのは…

7.「廿六日、御薫物あはせはてて」

さて、この段に、駒尺喜美が『紫式部のメッセージ』朝日選書ISBN:4022595221、紫式部は同性愛者とする根拠の一つとしている一文が登場する。昼寝をしている同僚女房(宰相の君)の顔がいかに美しいかを書きつづっているのだ。「いとらうたげになまめかし」、…

6.「八月廿余日ほどよりは」

彰子の出産が近づく。スタッフは当直が多くなり、お世話係として雇われる人たちが集まってくる。そんな中、「みなうたた寝をしつつ、はかなうあそび明かす」。まだ緊迫感は感じられない。それでも表だった管弦の催しは道長が差し止めていたという。彰子の体…

5.「播磨の守、碁の負わざしける日」

なんの関係もないこの章節がなぜこの位置にあるのか、確かに不思議だ。朴おじさんは、紫式部は、ここに登場する藤原有国一家を羨望のまなざしで見ていた、という。この後も、有国の奥さんや息子さんなどが、「御乳付」や「書よむ博士」などの大役を仰せつか…

4.「しめやかなる夕暮れに」

中宮彰子、道長に続き、いよいよ道長の長男、頼通が登場。その姿を紫式部は、「いとおとなしく、心にくきさまして」と形容する。若いのに(この時17歳)、背伸びした会話を交わし、洒落た歌を口ずさみながらその場を去る。ほほぉ、なかなかやりおるのぉ。こ…

3.「渡殿の戸口の局に見いだせば」

早朝。遣水の手入れを家来にさせる道長、それを戸口から見ている紫式部。道長は女郎花を手折って紫式部に見せる。そして歌のやりとり。「『あな、疾(と)。』とほほゑみて、硯召し出づ。」 道長の微笑は、政治家の仮面をはずした穏やかなものだったんだろう…

1.「秋のけはひ入りたつままに」

「土御門殿の有様、いはむかたなくをかし」と続く、『紫式部日記』の有名な書き出しである。土御門邸の秋の風情を記したあと、すぐに中宮彰子の話題に。この方に仕えると「現し心(憂き世のこと)をばひきたがへ」(ふだんの沈み込んだ気持ちとはうってかわ…

せっかくなので、最初からきちんと書いていこう。

読んでいくのは、講談社学術文庫『紫式部日記』上ISBN:4061595539、下ISBN:4061595547(全注訳、宮崎荘平)。書き出しに付す番号は、この本の章節分けにしたがったもの。

本日はおやすみ。

寄り道をして、萩谷朴著『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』新潮選書ISBN:4106005840。萩谷朴は大の清少納言びいきで、紫式部のことを、「陰湿な性格の持ち主」「異常な偏執癖を持った人物」「執念深い」と書いている。『紫式部日記』の中の「蛇足」と「勇み足」…