26.「その日、あたらしく造られたる船ども」

1008(寛弘5)年10月16日。さあ、いよいよ、天皇行幸の日がやってきた。竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の立派な船を点検する道長。早朝から支度に勤しむ女房たち。いよいよ帝の乗った御輿が到着する。後半、御佩刀(みかはし)を持つ左衛門の内侍、しるしの御筥を持つ弁の内侍、それぞれの美しさが詳しく記されている。

行幸のためにあたらしく作らせた、竜頭と鷁首の船を点検する道長。新車ならぬ、新船ですよ! すごいなあ。式部は、早朝に土御門邸に戻ってきた小少将の君と一緒に支度している。帝のお着きは朝8時の予定、とはいってもどうせ遅れるでしょうと、「たゆき心どもはたゆたいて怠け心はついぐずぐずしてしまい」っていうのが、式部にもこんな面があったのね、という感じ。案の定、行幸の行列の際に奏される鼓の音を耳にして、あわてて参上する式部。そんな自分を「さまあしき格好が悪い」と書いている。かわいい。

左衛門の内侍、弁の内侍の美しさを、式部は、

  • 「うるはしき姿、唐絵を、をかしげに描きたるやうなり端麗な姿は、唐絵をいかにも美しく描いたようである
  • 「はなやかにきよげなり華やかで清楚である
  • 「むかし天降り(あまくだり)けむをとめごの姿も、かくやありけん昔天から降りてきたという天女の姿も、このようであったかと

と書く。

さて、この段の中程に、何気なく差し挟まれた次の一文がある。

駕輿丁の、さる身のほどながら、階よりのぼりて、いと苦しげに、うつぶし伏せる、なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いとやすげなしかしと見る

帝の乗った御輿を階段のところにかつぎ寄せるその時、御輿をかついでいた下働きの男に式部はふと目をやる。いかにも苦しそうにうつぶせている男の姿を見て、自分自身の姿と「なにのことごとなる異なっていようか」とわが身に引き寄せて思うのだ。第19節で「五位ども」と見下すように書いたときと、なんという心の変化だろうか。「高きまじらひ高い身分の人々にまじっての宮仕え」も「いとやすげなしかしと見るまったく安らかな気持ちがしないことだと見ている」と、駕輿丁の姿に同情を寄せる。が、それはとりもなおさず、そのような世界に身を置いている自分の境遇を嘆いているのだ。

行幸の豪華絢爛さを書き記す、その谷間に、この一文があることの意味。この一文を差し挟まずにはいられなかった式部の気持ちに、寄り添いたいと思う。