24.「行幸近くなりぬとて」その1

行幸の準備がすすむ邸内

行幸近くなりぬとて、殿のうちをいよいよつくりみがかせたまふ行幸が近くなったというので、廷内をますます手入れされて立派になさる」。行幸・・・つまり、彰子の産んだ赤ちゃんに会いに、パパである一条天皇道長の家に遊びに来るのである。里帰り出産した妻と赤ん坊に会いに夫が妻の実家を訪れる、ということ。でも、来るのは天皇なのだ。迎える方は、そりゃ、大変だ! 道長は贅を尽くして準備に勤む。あちこちから集められた美しい菊が、庭に植えてある。それを、物思いにふけりながら「朝霧の絶え間に見わたしたる」女性がいる。それが紫式部

紫式部の心の叫び

なぞや、まして、思ふことのすこしもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなし若やぎて、常なき世をもすぐしてまし、めでたきこと、おもしろきことを見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心のひくかたのみつよくて、もの憂く、思はずに、歎かしきことのまさるぞ、いと苦しき。いかで、いまはなほもの忘れしなん、思ひがひもなし」

この部分を現代語訳で箇条書きにすると、

  1. まして、心に思い悩むことが、せめてもう少し人並みに軽い身の上であったら、あえて風流めかして若々しく振る舞いもして、この無情な世を過ごしているであろうのに
  2. いったい、これはどうしたことか、ただただ常日頃心に思っていることに引き寄せられるばかりで、気が重く、思うにまかせず、嘆かわしいことが多くなるのが、実に苦しい。
  3. (それにしても)何とかして、今はやはりすべて忘れてしまおう、考え込んでみても甲斐のないことである。

もっと、簡単に書くと。

  1. 私が普通の人みたいに悩みのない人間だったら、おしゃれをしたり、彼とデートしたりして、毎日をエンジョイしているのに。
  2. いったい、どうしたんだろう、自分の悩みにばかりとらわれて、毎日がとてもつらい。
  3. でも、そんなこと、忘れてしまおう。考えてたってしょうがないんだから。

ここで印象に残るのは、「なぞや」という強い疑問と、「もの忘れしなん」という自分への言い聞かせである。忘れようと思っても、何度も何度も襲ってくる思い。どうして、こうもその思いにとらわれるのだろう? それらの言葉は、式部にとってその悩みがいかに深かったかを物語っていると思う。式部の悩みとは一体何であったのだろうか?