33.入らせたまふべきことも

彰子の出産、それに続くお祝い行事の数々、天皇行幸、五十日の祝、と読んできたけれど、いよいよ彰子が宮中へ戻る日が近づいてきた。この節では、還御の準備に忙しい彰子のサロンの風景が描かれる。

何に忙しいのか。それはずばり、『源氏物語』の造本作業なのである。紙を選んだり、能筆家に書写を依頼したり、書き上がったものを製本したり・・・、式部は彰子と打ち合わせながら忙しい毎日を過ごしている。道長は上等の紙や墨を持参する。そして、「寒い時分にこんな事を始めて」なんて式部を責めるのである。

さらっと読むと、この部分は、還御の前の単なる忙しさの記録のように見える。けれど、式部がここで一番書きたかったことは、自分の作品が内裏への持参品として認められ、豪華な本に仕立てられていっていること、しかもそれは、道長の全面的なバックアップのもとに行われている、ということなのだ。

自分の作品が内裏への持参品として認められ、豪華な本に仕立てられていく様子は、式部にとって、とてもうれしく光栄なことだったろう。なのに、なぜそのことがダイレクトに伝わってこないのか? それは、式部の巧みな書き方によるのではないかと思える。

その一つは、構成である。この節は、「入らせたまふべきことも近うなりぬれど中宮さまが)宮中へ還御なさるはずのことも近づいたけれども」で始まり、「内裏に心もとなくおぼしめす、ことわりなりかし帝におかれましては(還御を)待ち遠しくお思いになられるのも、もっともなことである」で終わる。この見事な照応。だから、さらりと読むと、間に書かれていることは「還御の前の忙しさの描写」と感じてしまうのだ。

もう一つは、式部はここに自分の気持ちをほとんど書いていないということがあげられると思う。この節では、道長や彰子の行動、言葉によって進行していく。

  • 「つめたきにかかるわざはせさせたまふ」この寒い時分に、こんなこと(造本作業)をなさるのか道長のせりふ)
  • 取らせたまへるを、惜しみののしりて、道長の持参した紙や筆硯までもを)中宮様が私にくださったところ、殿は大げさに惜しがって
  • 「かかるわざし出づ。」と、さいなむ。道長が)「こんな仕事を始めるとは。」と私を責めなさる。
  • 心もとなき名をぞとりはべりけんかし。(手直ししていない本が人手に渡ってしまい)きっとよくない評判を取ることになってしまったことでありましょう。

しかも、上の例を読むとわかるように、すべて、否定的なニュアンスの書き方なのだ。彰子が道長の持ってきた上等の紙や墨を全部式部に与えてしまうのを、「ああもったいない」と道長が大げさに惜しがってみせた、とか、「忙しい時期にこんな大がかりなことを始めちゃって」なんて責められた、とか。道長にしても本気でそんなことを言っているわけでもなく、実は全面的にバックアップしているからこそ、の行動であり言葉なのだ。それなのに、なぜ素直に、道長が上等の紙や墨をくださってうれしい、とか、造本作業の忙しさを道長が労ってくれたとか、内裏へのお土産品に選ばれて光栄だ、とか、自分の作品が豪華な本に仕立て上がっていくのを見るのは楽しい、と書かないのだろう。ふと、清少納言だったら、と考えてしまう。こんな時、清少納言だったらどんな風に書くのだろう。きっとその喜びがきらきら伝わってくるように、手放しのわれぼめに辟易させられながらも、読み手までもを楽しい気持ちにさせてくれるように書いたのではないか。

物語作家として光栄ともいえる状況に身をおきながらも、決してそれに身をゆだねることのできない式部がそこにいる。その姿は、宮中での華やかな生活に身を浸しきれないでいる式部とぴったり重なるのだ。作家としての誉れとその喜びさえも素直に表出できない式部が、ここには如実に現れていると思う。

けれども、式部はやっぱり書きたかったのだ。自分の物語が、道長のバックアップを受けおおがかりに造本されていることを。彰子の持参品に選ばれたことを。皆から認められていることを。

そう思い至ったとき、式部の複雑な内面に少しだけ近づけたような気がした。