27.「御簾の中を見わたせば」

引き続き、行幸の様子。この節では御簾の中で奉仕する女房たちの様子を詳しく書く。その記述はほとんどが装束に関するもの。生地はどんなので、柄はどんなので、仕立て方はどんなで、重ねはどんなで、扇はどんなで、等々。どれも女性が感心を持ちそうな事ばかりだ。このあたりを読んでいると、「この日記はもともと式部が宮仕えの中で経験したことを、ああなのよこうなのよと、親友へ知らせるようなつもりで書いたのだと思われる」という駒尺喜美の意見1)に、さもありなん、という気がしてくる。やはりこのような場に同席できることは、一般人からすればあこがれの的だったのかもしれない。ワイドショーや女性週刊誌で皇室情報が人気があるのと似ているなあと思う。

この中で、扇の上に出ている額の様子で、不思議と女房たちの容貌を上品にも下品にも見せるという、式部らしい「審美眼」が披露されているのが面白い。

この節の後半に、いよいよ帝と若宮の対面場面が登場する。

殿、若宮抱きたてまつりたまひて、御前にゐてたてまつりたまふ。上、抱きうつしたてまつらせたまふほど、いささか泣かせたまふ御声、いとわかし。
若宮を抱くのは道長一条天皇に抱き移す時、若宮が愛らしい泣き声を上げる。その場の雑音がすっと止んて、若宮の声が愛らしく響いたのだろう。一条天皇は、「おーよしよし」なんて若宮をあやしたのかもしれない。ほのぼのさせられる場面だ。

道長にしてみれば、この瞬間、しみじみと誉れ高い気分を味わったことだろう。『御堂関白記』には、この日のことを「御前ニ参ジ、若宮ヲ見奉ラセ給フ。余抱キ奉リ、上抱キ奉リ給フ」と記しているのだそうだ。これを書きながら、目尻を下げている道長の表情が思い浮かぶなあ。愛を込めて「道長ジジ」と呼ばせてもらおう。きっと、この時の泣き声なんかも思い出しながら書いたんだろうな