34.御前の池に、水鳥どもの その1

中宮還御を控えて、紫式部が里下がり(自分の家に戻ること)して、思い出したり、考えたりしたことが書き綴ってある。夫を亡くしてからの自分の気持ち。宮中に出仕するようになってからの自分。その自分がいまどんな風に思われているのか・・・それらを思い暗澹たる気持ちに式部は陥るのだ。

夫を亡くしたあと、式部は何を支えに生きてきたか

夫宣孝が亡くなったのは、1001(長保3)年。3年に満たない結婚生活、幼い娘(賢子は1歳になるかならないかくらいと思われる)とともに残された悲しみは、その結婚生活が穏やかな幸せに満ちたものだったであろうだけに、式部の心を痛めつけたに違いない。夫を亡くしてからは、「行末の心細さはやるかたなきもの行く末の心細さは晴らしようがない」という。けれども、そんな式部の心を慰めてくれたのは、「はかなき物語取り柄のない物語」だったと式部はいう。この物語は『源氏物語』であると考えられているのだけれど、それをめぐって、「さまざまにあへしらひ感想を語り合ったり、批評しあったり」していたのだろう。しかも「少しけ遠き、たよりどもをたづねてもいひける少し疎遠な人には、手づるを探してまでも文通したもの」だというのだから、かなり積極的にそういう活動に関わっていたのだと思われる。そして、その虚構の世界に身を浸している時だけは、式部は夫を失った悲しみから遠ざかれたんじゃないかなあ、と思う。

今の自分を、式部はどう思っているか

このような生活を送っていた頃は、「さしあたりて恥づかし、いみじと思ひしるかたばかりのがれたりし恥ずかしいとか、つらいとかと思い知らされることだけはまぬがれてきた」のに、宮中に出仕するようになってからの自分は、「さも残ることなく思ひ知る身の憂さこんなにまで(恥ずかしさ、つらさを)ありったけ味わわなければならない我が身の嘆かわしさ」だというのである。

何がつらいのか

式部は何がいやだったんだろう? 具体的には、

  • 宮仕えに出た自分は、恥知らずで浅はかな人間だと軽蔑されているだろう。
  • 宮仕えに出るような軽薄な人間に手紙を送ったら、取り散らかされてしまうに違いないと、疑われているだろう。
  • 宮仕えなんてとんでもないと思っている人は、自分の心の内面まで推し量ってなどくれまい。
  • そんなこんなで自然と文通が途絶えてしまう人が多い。
  • 居所も一定ではないのだろうと思われて、訪れてくれる人も来にくくなった。

というのである。よっぽど宮仕えが嫌なんだなあと思うような内容だ。

こう読んでいくと、式部の中には、「宮仕えに出るような人は、浅はかで、もらった手紙を他人の目に触れるようなことをし、居所がころころ変わるのだ」という、先入観というか固定観念があったと言えそうだ。だから、実際に自分が宮仕えに出るようになって、心は宮仕えに出る前の自分のとまったく変わりがないのに、「宮仕えに出た女=軽薄なヤツ」になった、と思われるのが嫌で嫌で仕方なかったのだ。

そして、あんなに夢中になっていた物語制作にも「見しやうにもおぼえず、あさましくかつてのように感興を催すこともなく、そんな自分に、あきれるばかり」だというし、ついには、自宅にいても、別の世界に来ているように思えるというのである。ここまでくると、式部の宮仕え疲れというか、宮仕え嫌いは相当な重症なんだなあと思える。

と、言いながらも

ところが、式部は、これほど嫌だという宮仕えが、なつかしく思える、というのだ。何なんだ、いったい!? この直前まで、ああ、式部はよっぽど宮仕えが嫌だったんだなあ、と思いつつ読んでいたのに、ここに来て、ころっと言うことが変わる。宮仕え先で気の合う人とのやりとりが、「なつかしく思ふ懐かしく思われる」というのである。こうもあっさり前言を翻すとは、なんだか拍子抜けだ。式部は自分でもそう思うのか、言い訳のようにそんな自分は「ものはかなきやいかにも頼りないことである」と言っている。それは認めながらも、やっぱり彰子の御前で仲のよい女房と会話したことなどが恋しく思われ、「なほ世にしたがひぬる心かやはり世間の慣わしに順応してしまっている心というものである」、つまり、宮仕えを厭いながらも、その環境に順応してしまったことをはっきりと認めているのである。

式部の本当の気持ちはどっちなのか?

では、式部の本当の気持ちはどっちなのだろう? 宮仕えが嫌で嫌でたまらないのか? そうは言いつつも実はそういう生活がまんざらでもないのか?

私は後者と見る。式部は今の生活をそう悪くもないと思っているのだ。たしかに、宮仕えは鬱陶しいことも多いだろう。自分のことを軽薄だと思われているかもしれないと、気が滅入ることだってあるだろう。けれど、式部は、確かに宮中での生活を楽しんでいるのだ。豪華な祝い事に手放しで賛美の言葉を書き連ねる式部、自分と同じ階層の人間を「五位ども」と見下す式部、道長に自分の能力を認められていることを自覚している式部・・・・そういう式部が確かにいる。

24節「行幸近くなりぬとて」のなかid:tsun:20030301#p2、id:tsun:20030302#p1で、水鳥の姿に自分を重ねて宮中での生活を愁いてみせた、あの式部の気持ちを、ここでも読みとることはできるだろう。けれど、たったあれだけの短い言葉で読む人の心を揺さぶるのに比べ、この節のくどくどしさはどうだろう。まるで仕事の愚痴を延々と垂れ流しているようではないか。そして、自分の物語を手に取ってみてもちっとも興味がわかないと嘆いてみせる。まるで流行作家のため息のようではないか。

最初にこの節があまり好きになれないと書いた。ここの部分を読む時、いつも私は式部に問いかけたい気持ちになった。「じゃ、なんで宮仕えなどに出たの? 自宅で源氏物語の制作に励めばよかったじゃない。そりゃ、家庭の事情があったのかもしれない。だけど、最終的に宮仕えに出ようと決心したのは自分でしょ? だったら割り切って働けばいいじゃない。自分は自分。宮仕えの事が原因で離れていった人たちも、いつかはあなたの気持ちをわかってくれるよ。なんでそういつまでもぐずぐず言っているの? もっと楽しめばいいじゃない? 働いていればつらいこともあるよ。それは誰でも一緒だよ。でも前向きに頑張るしかないじゃない? そんなに嫌だったら、宮仕え辞めれば?」

そう問いかけながらこの節を何度も読むうち、はっと気づいたのだ。式部は単に愚痴を書き連ねたんじゃない。愚痴に見せかけて、実は今の生活が好きになっていることを、自分がこの職場で認められていることを、書きたかったのだ。自分の気持ちを愁いてみせてはいるけれど、それは表向きの言葉だ。はっきり言える。この節は、愚痴を装った自慢だと。このことは、この節の書き出しと終わりを検分することによって、さらに明らかになると思う。それはまた次回に。