32.おそろしかるべき夜の御酔い 続き

紫式部の蛇足 貫之の勇み足 (新潮選書)この節、倫子がぷいと席を立ってしまったのは、宮崎氏の解説に基づいて、道長がわれぼめしてしきりに冗談をふりまくので、それに閉口して、という立場で考えてきたけれど、朴おじさんは、道長が式部と息のあった贈答歌を読みあい、それを自慢したから、という考えをもっておられる。この部分の朴おじさんの解説を引用しよう。

妻と娘の前で、抜け抜けと隠し女の紫式部と和歌贈答を自慢するという無神経ぶりを発揮するに及んで、流石の倫子も我慢がならず、プイと席を立って自室に引き取ったが、そこは逆玉の道長、大あわてにあわてて、事もあろうに、中宮の御帳台を突っ切って倫子の後を追うという醜態を演じた。こうなっては、流石の紫式部も、道長との秘密の関係を、自家繁栄の為に利用する目当てを失ってしまったことであろう。萩谷朴『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』新潮選書 ISBN:4106005840

実際、この時倫子がどんな気持ちだったのかは、今となっては謎である。が、彰子は、「さわがしき心地はしながら、めでたくのみ聞きゐさせたま落ち着かない気持ちはしながらも、機嫌よく聞いていらっしゃる。」つまり、はらはらしながらも、ご機嫌だったという。一方、倫子は、「聞きにくしとおぼすにや、わたらせたまひぬるけしき聞きづらいと思われたのか、退出なさろうとするご様子」だというのだから、倫子が不機嫌だったのは明らかだろう。しかも、道長はあわてて追いかけていくし。重陽の節供の時のエピソードからも、倫子という人間が浮かび上がってきそうなシーンだと思う。

式部は、その場にいた人を、単に見たまま描写しているだけなのかもしれない。けれどもそれは、登場人物の人間性を浮き彫りにしていると思う。そこまで計算にいれて書いたのかどうかはやはり謎だけれど。