31.御五十日は霜月のついたちの日

1008(寛弘5)年11月1日。五十日の祝(いかのいわい)−若宮誕生50日目のお祝いの行事−の様子が述べられる。赤子の口に餅(五十日の餅(いかのもちい))をふくませる儀式である。

五十日の祝の様子

美しく着飾った女房たち、供された御膳のことなど。式部はその様子を「絵にかきたる物合の所絵に描いてある物合の場面」にとてもよく似ているという。殿の北の方(道長の奥さん、倫子)が若宮を抱いて御帳台から出てくる。そして、若宮へお餅を差し上げるのは、もちろん道長。時間は午後7時頃。ここでは式部の賛美の筆は、倫子に向けられる。「けはいことにめでたしまことにご立派なご様子である」、「かたじけなくもあはれに見ゆもったいなくもあり、また感動的にも見受けられる」。

さて、宴はたけなわ、左大臣道長以外の二人の大臣、右大臣の顕光、内大臣の公季をはじめとする上達部たちが「酔ひ乱れてののしりたまふ酔い乱れて大騒ぎになる」。様々な献上品−それはそれは高価な品々が集まったのだろう−を紙燭を灯させて眺めたりする。上達部たちは、道長を先頭として、彰子の御前に参上する。居並ぶ女房たち。そこへ右大臣が酔っぱらって乱入してくる。几帳のほころびを引き破ったり、女房の扇を取り上げたり、下品な冗談を飛ばしたり、はじけまくっている顕光。女房たちが「さだすぎたりいいお年を召して」と、つつきあって笑っているのも知らずに、いい気なもんだ。宴会でよっぱらって羽目を外す「しょーもないおじさん」と同じだ。こういう人、どの時代にも必ずいるんだね。

式部と二人の男性−藤原実資藤原公任

そんななか、式部の目をとらえたのは、女房たちの衣装をじっと観察している藤原実資の姿である。その姿は「人よりことなり他の人とは(感じが)違っている」ように式部には見えたのだ。式部は、酔い乱れたこの席で誰ともわからないだろうと、実資に話しかける。すると実資は、「いみじくざれ今めく人よりも、けにいと恥ずかしげにこそおはすべかめれひどく現代風にしゃれた人よりも、格段にご立派でいらしゃるように見受けられる」のだった。

次に、声を掛けてきたのは、藤原公任だ。ここで、あの有名な台詞が登場する。

「あなかしこ、このわたりに、若紫やさぶらふ恐れ入りますが、このあたりに若紫さんはおられませんか。」

この一言で、この時すでに、『源氏物語』の人気が定着していたことがわかる。公任は式部のご機嫌をとろうと話しかけるのだ。「若紫さんはいらっしゃいませんかねぇ」。それに対し式部は、光源氏に似ていそうな人もいないのに、ましてやあの紫の上がいるわけないじゃない! と聞き流すのだ。ひょえーー、式部、カッコイイ!! 当代きっての才人、公任を無視するなんて。すごいぞ。

実資には自ら話しかけるのに、公任には話しかけられても無視をする。式部のこの態度の差は面白いと思う。実資とはどんな会話が交わされたんだろう。今日のお祝い行事についてしみじみと感想を語り合ったのかなあ。道長の話とか、うわさ話とか。話がはずんだのかもしれない。片や公任は無視でしょう。きっと、式部を軽く見るような、からかいを含んだような、それでいて、ご機嫌取りのような、そういうのがあからさまに伝わるような声の調子だったんじゃないのかなあ。式部はそれを敏感に感じ取ったんだと思う。なかなか気むずかし屋の式部ちゃんなのである。

乱れ行く祝宴

さて、祝宴はいよいよ乱れ、権中納言は兵部のおもとの袖をひっぱって、「聞きにくきたはぶれ声聞くに耐えない冗談」を言う。道長はそれを聞いていても何も言わない。どうもこういう場での御乱行はOKだったらしい。その座の乱れようが想像できるというもの。そして、眉をひそめている式部の表情も浮かんできそうな場面である。

私はこの節が好きだ。いろんな事を連想させてくれることもあるけれど、なにより式部はここでは本音を書いているなあと思わせてくれるから。