23.「十月十余日までも」

何度も孫の顔を見に来る道長。「わが心をやりてささげうつくしみたまふ(殿は)ひとり良いご機嫌になって抱き上げてかわいがられる」。うれしくてたまらないらしい。孫の「わりなきわざ困った仕業=ここではおしっこ」で服が濡れても「うれしいなあ」と喜ぶ道長道長も普通のおじいちゃんなんだと思わせられる部分。けれど、このはしゃぎぶりは彰子が生んだのが権力を盤石にしてくれる男の子だったからこそなのだと思う。この場面の主人公は道長だ。そう思うと、なんだか虚しい。

最大の捨て台詞

さて、この節の最後に、大きな意味を持つ捨て台詞がある。

「中務の宮わたりの御ことを、御心に入れて、そなたの心よせある人とおぼして、かたらはせたまふも、まことに、心のうちには、思ひゐたること多かり中務の宮家あたりの御事について、(殿は)ご熱心で、(私を)その宮家に縁故のある者とお思いになって、(何やかやと)ご相談なさるにつけても、ほんとうに内心では、思いこむことがあれこれと多かった。」

何の相談か

道長は長男頼通と具平親王の長女の婚儀を切望していた。式部は具平親王につてがあったので。朴おじさんは、ついでに式部の娘賢子をいずれは側室に・・・といった下心を持っていたのだろうと見る。とにかく、「思ひゐたること多かり」なのだから、いろいろと悩ましいことがあったのだろう。

道長の要請に、式部は・・・

ここで注意すべきは、「かたらはせたまふも」の「」である。ここの「も」は「けれども」の意。「(殿から)お話があったけれども、本当の私の心持ちとしてはいろいろと考えることがあった」という意味になる。つまり、紫式部道長の要請に即座に色良い返事ができなかった、それを道長は見逃さなかった、というのが大野晋氏の解釈なのである。なかなか説得力のある説だと思う。

転調

かくして、この捨て台詞を挟んで、これより後の記述は、これまでと一転、孤独感、違和感に満ちたものになる。長調から短調への変化。それは、私をますます惹きつける。