御前の池に、水鳥どもの その2

さて、式部は、宮仕えがイヤだったのか、まんざらでもなかったのか、という話。長い長い愚痴の後、今では実家でもくつろげず、かえって女房仲間が懐かしいという。だから式部はやっぱり、「今の生活に順応している」=今の生活に満足している、と、私は感じるのである。それは前回書いたとおり。では、もう一つの根拠。

始まりと終わり

この節は、「御前の池に、水鳥どもの日々に多くなりゆくを見つつ御前の池に、水鳥たちが日ごとに数を増してゆくのを見ながら」で始まる。寒さが日々深まってきたのである。式部は彰子が宮中に戻らない前に雪が降ってほしい(「入らせたまはぬさきに雪降らなん」)、この土御門邸の雪景色の美しさを彰子と分かち合いたい(「この御前の有様、いかにをかしからん」)と願っていた。すると、自分が実家に戻っているうちにその待望の雪が降ってしまったのだ。式部はそのタイミングの悪さを残念がっている。自宅のなんということもない雪景色を眺めながらも、土御門邸の雪景色に、彰子に思いを馳せているのである。

で、この後、前回言及した、長い長い式部の愚痴と、同僚女房を懐かしむ記述がある。そして、終わりはまた雪の話題に戻るのである。この構成はさすがだなあと思わせられる。それはよしとして、その内容がポイントなのだ。

「雪を御覧じて、折しもまかでたることをなん、いみじくにくませたまふ。」
と、人々ものたまへり。
「(中宮様が)雪を御覧になられて、(あなたが)よりによってこんな折りに(里に)退出したことをひどくお咎めでいらっしゃいますよ」と女房たちも(手紙で)おっしゃる。

休暇を実家で過ごしていた式部のもとに女房仲間から手紙が届けられる。そこには、「彰子さまが、あなたが実家に戻ったことをお咎めになってますよ」とある。これはかなり遠回しな書き方であって、直接的に言えば、「式部さんがいなくて彰子さまが残念がってらっしゃいましたよ」→「彰子さまが、式部さんとこの雪を一緒に御覧になれないのを残念がっていらっしゃいましたよ」ということになる。つまり彰子は、式部と一緒にこの美しい雪景色を見たかったのだ。彰子が自分を必要としてくれていることを知り、式部はとても誉れ高く感じたことだろう。そしてこのことを書き記すのは、とりもなおさず、自分がその場に必要な人間である、その場で求められていた人間である、ということを、自認し、公表したことに他ならない。

この節の始まりの部分では、自分が彰子を思い慕っていることを書き、終わりの部分では自分が彰子から思い慕われていることを書く。彰子と自分は「思い思われ」、つまり、「両思い」の関係であると、言いたいのではないか。

彰子からだけでなく、倫子からも

さらに、彰子の母、倫子からも、「早く戻ってらっしゃい」というお手紙が、式部のもとに直々に届けられるのである。これは、もう、だめ押しですよね。自分がこれほどまでに信任されているという。

結論

つまりこの節の主軸は、宮仕え生活の嘆きではなく、
1.今の出仕生活を受け入れていること
2.自分が信任厚い女房であることを公認する
にあるといえる。