32.おそろしかるべき夜の御酔い

この節は、五十日の祝(いかのいわい)の祝宴が果てたあとの様子を描く。

祝宴が果てて

祝宴はあまりにひどい乱れようになってきた。こうなったらどんなことが起きるのかわからない。式部は宰相の君と示し合わせて御帳台の後ろに隠れる。それを道長がめざとく見つけて、ぱっと几帳を取るのける。式部が御帳台に隠れたのを、道長はちゃんと気付いていたんだね。ひょっとしたら実資に話しかけたり、公任に声を掛けられたりしていた時から、道長は式部の行動を視界の隅にとらえていたのかもしれない。式部の行動をというよりも、その場にいた人全員の一挙手一投足を、酔ってはいても細心の注意力で観察していたのだろう。政治家道長にはそういう面があったはず。

道長は、式部に和歌を一首詠むように命ずる。式部は歌を詠む。道長ははその歌を2度ほど繰り返して、さっと返歌を詠む。若君の幾久しい将来を見届けたいという願いを込めた歌だ。その歌の出来の良さに道長は大満足。彰子に向かって、

「宮の御前、聞こしめすや。仕うまつれり中宮さま、お聞きですか。和歌を見事に詠みましたよ。」

と自慢するのだ。この瞬間道長は、娘とその孫の幸せを想う、一人の父親なんだなあ。もちろん、この娘と孫は、未来の国母と天皇、なんだけど。うん、これはかなり大切なこと。

道長と倫子−夫としての道長

この夜、道長は、いたく上機嫌だったらしい。次々と繰り出される自慢話に、はらはらしている中宮様。奥さんの倫子は、だんな様のあまりの乱れように、「わたらせたまひぬるけしき退出なさろうとするご様子」になってしまう。うーん、倫子さん、わかりやすい人やねー。「もうっっっ、うちの主人ったらっ。聞いちゃあいられないわ(ムカムカマーク)」って感じかな。

そんな倫子の様子にあわてる道長の姿がユーモラスだ。

「送りせずとて、母うらみたまはんものぞお見送りをしないといって、お母さまはお恨みになるでしょう

と焦って倫子を追いかけて行くのだ。しかも道長は彰子の御帳台を横切るというあわてようで。あははー、辣腕家の道長でも、奥さんには頭が上がらないんだねえ。彰子は、娘といっても中宮ですよ。身分はずっと上なのだ。その前を横切るなんて、失礼じゃああーりませんか。でもそんなことをかまっている余裕などなく。とにかく倫子の機嫌を損ねるのがこわいんだね。かわいいぞ、道長。「宮なめしとおぼすらん中宮さまはさぞかし無礼なこととお思いでありましょう」って、独り言のように言い訳しながら倫子を追いかけるんである。ますます道長がチャーミングに見えてしまう。そんな道長の姿に女房たちは「笑いきこゆお笑い申し上げる」。なんともほのぼのとさせられる場面ではないか。

この後の二人の様子をついつい想像してしまう。なかなか機嫌の直らない倫子をなだめる道長。かなりアルコールの入っている道長は、そのうちに布団にも入らずにがーっと寝入ってしまう。倫子は、道長の寝顔をみつめて「まったく、しょうがないんだから」なんてため息をつきながらつぶやく。それは、とても優しいまなざしだった・・・・なーんてね。こういうことを想像していると、道長夫妻とて、どこにでもいる夫婦と同じだったんじゃないかなーと思う。

ところで、結婚前、倫子はかなりいい家のお嬢さんだった。かたや、道長なんてぺーぺーで、順当にいけば絶対に政権を握れるような立場じゃなかった。だから、道長はある意味、「逆玉」なのだ。それが今や政権の座を獲得し、さらに娘が未来の天皇を生むなんて幸運に恵まれたのだ。「母もまた幸ひありと思ひて、笑ひたまふめり。よい夫は持たりかし、と思ひたんめりお母さまもまた幸せだと思って、にこにこしていらっしゃるようです。さぞかしよい夫を持ったものだ、と思っているのでありましょう」なんて冗談が飛び出すのも無理はないだろう。というか、これはかなーり本音なんだろうな。オレってけっこう頑張ったよな、っていう道長の自負。それが言葉となってあふれているんだなって思う。