28.「暮れ行くままに、楽どもいとおもしろし」
帝の御前で管弦の遊宴が始まる。船の上で奏されている笛や鼓の音が、松風に乗って聞こえてくる。遣水の水面までも満足げに見える。筑前の命婦・・・おそらく年をとっているのだろう、「女院さまが生きておられる頃はしばしば行幸があったものです」などと言い始めるけれど、誰も相手にしない。「わづらわしとて、ことにあへしらはずやっかいなことだと思って、格別相手にもなさらずに」というのが面白い。「その時はどんなだったんです?」なんて聞こうものなら、命婦の思い出話のスイッチが、オン!になってしまうところだろう。年寄りの思い出話に辟易させられるのは今も昔もかわらないなあと、くすりとさせられる場面である。
管弦の御遊びが盛り上がった頃、「若宮の御声うつくしう聞こえたまふ」。なんて風情があるのだろう。
「あはれさきざきの行幸を、などて面目ありと思ひたまひけむ。かかりけることもはべりけるものをああ、これまでの行幸を、どうして名誉なことだと思ったのでありましょう。こんな光栄なこともありましたのに」と、道長は酔ひ泣きしたまふ酔い泣きをなさる。道長ジジ、大感激なのである。感涙にむせぶといったところか。そして、中宮職の役人や、道長家の家来たちがみな昇進する。それもこれもすべて、彰子が皇子を生んだおかげ。
「あたらしき宮の御よろこびに」というのは、若宮の親王宣下のこと。「即チ皇子ヲ以テ親王ト為ス。御名敦成(あつひら)」。この日、帝が土御門邸に到着したすぐ後にあったそう。敦成親王(後の後一条天皇)が正式に誕生したのだ。
夜も更けて、帝が彰子の御帳台に入る。ひさびさの夫婦の語らい。ところが、まもなく、「夜が更けてきたので、御輿の用意をしまーす」と、帰り支度が始まったので、帝は皇居へ帰っちゃったんだって。夫婦なのにゆっくりと対面できないのも気の毒だなあと思う。ところで、この行幸の日、若宮は、最初は道長が帝に会わせて、その後は倫子ババ(あ、道長の奥さん、つまり若宮のおばあちゃんね)のところへ連れて行かれたので、彰子ママと一条天皇パパとで「この子が私たちの赤ちゃんよ」、「こんなにかわいい子を産んでくれて、うれしいよ」なんていう、夫婦の会話や親子水入らずでの対面はなかったことになる。どうなんだろう? それにしても、身分が高いのも不自由なものだと思う。