オープンキャンパスに行ってみた。

tsun2005-07-24

娘につき合って、某私立大学某学部のオープンキャンパスに行って来た。「娘につき合って」というのはあくまでも表向き、本当は「私立大学」がどんなところか一度見てみたかったのだ。小学生から大学までずっと公立ですごし、また社会に出てからも国立の機関で働いてきたので、これまでまったく「私学」というものに縁がなかったのだ。そして私立大学の第一印象は、

なんてきれいなんだ…。

キャンパスは広大だし、芝生がちゃんと芝生だし、建物は立派だし、掃除が行き届いているし、図書館は広々としてるし、食堂もまともだ。今の職場のキャンパスにも芝生があるけど、雑草が伸び放題で、これ以上もう伸びないよという状態になってやっと芝刈りが行われる始末。「芝生」の時よりも「荒れ地」の時ほうが圧倒的に長いんだもの。「うらやましい」のため息が自然にもれておりました。

そんな気持ちも、研究室の見学でおさまりましたね。実験器具は乱雑に散らかり、あるいは高さ調節に漫画雑誌が積み重ねてあったり、インスタントコーヒーの空き瓶が再利用してあったり、実験中さわるなだのカギを閉めろだの勝手に操作するなだのの張り紙があちこちにしてあって、うちの実験室もそりゃもう空き巣が荒らしていった後のような乱雑さで常々なんとかならんかと頭を悩ましているのだけれど、どっこもこんなもんなんだなあと妙に安心してしまったのである。そしてなにより、研究室にいた学生さんたちが楽しそうに実験をしたり見学者に説明をしたり(id:carrion-crow:20050721のcarrion-crowさんはこんな感じだったのかな)、また案内をしてくださった教官が自分の研究のこととなると実にうれしそうに「語る」のである。つくづく大学の先生って、ファインマン先生*1言うところの「ものごとをつきとめることの喜び」を知っている人種なんだと再認識したのである。要は外見より中身。そしてここにはたしかに「知を探求しようという意欲」が充ちていると感じられたのは収穫であったと思う。

で、肝心の娘だけれど、大学での勉強がどんなものか少し具体的にイメージができるようになったみたい。また、世の中には実にさまざまな学問があり、それらが実社会と結びついていること、そこに自分なりにどう関わっていくか、自分の将来の姿を思い浮かべているようだった。その様子を見ていると、オープンキャンパスという場は実によいきっかけとその後の動機づけを与えてくれる場であると思ったことだった。

*1:ファインマン著/大貫訳 『困ります、ファインマン先生』岩波現代文庫より ISBN:4006030290