30.「暮れて月いとおもしろきに」

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行幸の翌日、日が暮れて月が美しい時分に、第28節で出世した人たちが中宮へお礼言上のためにやってくる。やってきたのは、藤原実成藤原斉信。取り次ぎ役の女房の局に「ここにやこちらですか」と声を掛ける。すぐには応答しない紫式部。なかなかもったいぶっている。そして、二人から、もっと打ち解けておしゃべりしましょうという誘われても、式部はとんでもないわ、とつっぱねるのだ。式部の倫理観がみてとれる面白い節だ。

「格子のもと取りさけよ。」
とせめたまへど、いとくだりて上達部のゐたまはんも、かかる所といひながらかたはらいたし。若やかなる人こそ、もののほど知らぬやうにあだへたるも罪ゆるさるれ、なにか、あざればましと思へば、放たず。
「格子の下半分を取りはずしなさいよ。」
と、お二人はしきりにおっしゃるが、ひどく品格を下げていて上達部ともあろう方がお入りになって座り込んでおられるというのも、このような場所とはいえやはりみっともない、年若い女房であったならば、ものの分別を知らないようにたわむれていても、大目に見られもしようが、どうして私などがそんな不謹慎なことができようか、と思われるので、格子の下半分を取りはずしはしない

実成と斉信を、「いとくだりてひどく品格を下げていて」、「かたはらいたみっともない」とは、手ひどいいい方である。そうそうたる上達部ふたりもかたなしだ。しかも式部は、年若い女房なら大目に見てもらえるけど、私などが「あざればまし」そんな不謹慎なことはできないわ、というのだ。うーん、きっぱりしている。

ところで、藤原斉信(ただのぶ)はこの時、中宮大夫で、親王家の家司の長官を兼ねていた。彼が彰子の御局を訪れる時、信任厚い式部が取り次ぎ役を務めることも多かったはずだ。ここで思い出されるのは、なんといっても『枕草子』に登場する、斉信と清少納言の機知に富んだやりとりだろう(「頭の中将の、すゞろなるそら言を聞きて」の段、「宰相の中将斉信」の段など)。清少納言が描く斉信は、衣装センス抜群、薫きしめている香もすばらしく、カラオケも上手・・・おっと、詩の朗詠も上手という風流男(みやびお)。若い女房たちに抜群の人気を誇っていた。そのスターと清少納言との交流は、彼女たちの羨望の的となり、話題の中心となり、後々まで語り継がれたことは想像に難くない。

紫式部は『枕草子』を読んでいたかもしれない。読んでいなくても、斉信と清少納言の人気を博したやりとりは否が応でも耳に入っていただろう。くつろいでお話ししましょうという誘いに、下の格子を取り外さなかったのは、式部のいつもの姿勢なのかもしれない。けれど、こんな場面でいつも式部は、清少納言のことを意識せずにはいられなかったのではないか。私は彼女とは違う。私には私のやり方がある。「若やかなる人こそ」という言葉の中に、清少納言を意識した、そのような気概が込められていると感じるのは深読みに過ぎるだろうか?

斉信にしても、とりつく島もない式部の対応に接して、苦笑いをうかべたかもしれない。あるいは、失望したかもしれない。こんな時彼女だったらと、清少納言のことを思い出したかもしれない。明るく笑いに満ちた定子のサロンを懐かしく思い出したかもしれない。きっと、その頃のことを思い出してくれていたよね、斉信サマ。この段に登場する斉信の心の中を、温かい思い出とそれを失ってしまったさみしさがよぎったはずだと、私は信じたい。

ちなみにこの節の場面が、この本ISBN:4061595539いる。少し持ち上げられた上の格子からのぞいているのが紫式部。2千円札の図柄にも採用されている。『紫式部日記絵巻』第一段「紫式部の局を訪う実成と斉信」(五島美術館所蔵)←いつかは見に行くぞー。