夢の国

兼六園を訪れた。たいへん美しいところだとは知っていたが、ほんとうに美しい庭園だった。

観光名所とは言っても、見所が何カ所かあってそこはきれいだけど、一歩裏にまわると、手入れの行き届いていない場所があったり、ゴミが散乱していたりするものである。ところが、兼六園はどこを見ても隅々まで手入れが行き届いていた。それに、どの場所でどの角度をみても、「絵になる風景」ばかりだった。

美しく立派な姿の松、苔むした地面、晩秋の頃の美しさが忍ばれる紅葉。霞が池はその美しさをどんな風に映し出すのだろう。桜や雪の時期はまた違った美しさを見せるに違いない。さすがに観光客は多かったけれど、それさえも兼六園の美しさを讃える風景の一部のように見える。

この美しさの中に身をおいておきたい。そんな気持ちで園内をさまよい歩いた。ふわりふわりと夢心地で歩いた。「御伽の国」とはこういうところを言うのではないかと思った。だから兼六園を後にするとき、楽しい夢の途中で目覚めたような、少し悲しい気持ちになった。

兼六園に接する成巽閣で、『源氏の意匠』ASIN:4096060712にもなっている着物の実物を見ることができた。前田家伝来の振袖の柄は『源氏物語』がテーマになっており、その右肩には、逃げた雀と倒れた伏篭、裾には幔幕に楽太鼓が描かれている。

こういった柄は、主人公達を登場させずにその場面を連想させるもので、留守模様と呼ばれる。この着物の場合、前者は源氏と紫の上が初めて出会う「若紫」の場面を、後者は「紅葉賀」を示す。両場面とも『源氏物語』の重要なシーンであり、『源氏物語』を知っている者だけに理解できる楽しみでもある。

この着物から、当時の教養として源氏物語が必須だったこと、また全面に施された豪華で手間のかかった刺繍から、当時の前田家の隆盛と爛熟した文化を実感することができた。