注意すること、されること

注意は、されるよりするほうが難しい。年下の相棒(新人)と仕事するようになって、日々そのことを痛感している。

仕事の上のことは、ちゃんと注意しておかなければ支障を来す。かといって、ズバリとミスを指摘するのは相手を傷つける。それに、ミスを隠したり、相談してもらえなくなったりすることのほうがもっと困る。人間だからミスはある。大切なのはミスをしたあとのリカバリーだ。だから注意をするときはそのリカバリーの方に重点をおくようにしている。

今日はあることで注意を受けた。この9月からある役(任期1年)を引き受けているのだが、その前任者からの注意なのである。その人の指摘はもっともだったので、次回は気を付けようと思った。なのに、そのミスがどんな悪影響を及ぼしたか、そのことで自分がどれだけハラハラしたかを5分以上もとうとうと電話で聞かされて、ほとほと嫌になってしまった。「次から××したほうがいいわよ」、そのひと言ですむ話なのに、どうしてそこまでいいたいのか?「はいはい、私が悪うございました」とのど元まで出かかるのを押さえ、「申し訳ありませんでした」を繰り返す。その電話は相談したいことがあって私からかけたものだったのに、質問そっちのけで説教をくどくどとくらって、結局質問には答えてもらえなくて、電話代返せと言いたい。散々だ。電話を切った後、どっと疲れが出る。その前任者は、チャンスがあったらぜひとも私に注意してあげよう!と固く心に誓っていたのだろう。それが思いもかけず私の方からやってきたので、ここぞとばかりに言いたくなったのだろう。

ここで一つだけ言えること。私はその前任者に、今後、決して、何一つ、相談しない。するもんか。前々任者、前々々任者と、相談相手はいくらでもいるのだ。

「ざまあみろ。」この言葉をここに書くことをお許しください。